2016年4月の活動報告

今週開催される「親の会」のご案内

2016/04/23

4月25日の月曜日に、津幡町で不登校の親の会が開かれます。

 

会費は無料なので気軽に参加できます。

 

お菓子を持ち寄って、ホット息ぬきしませんか?笑顔になれる時間を共有しましょう。

 

4月25日(月)
津幡町不登校の親の会 ホットミルク
場所:石川県河北郡津幡町加賀爪二3番地 津幡町役場となり福祉センター1階 相談室
時間:午前10〜12時
会費:無料ですが、一人一つお菓子を持参
電話:076-288-6276
メール oyakosaron@po4.nsk.ne.jp

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不登校 Q&A

2016/04/22

【不登校について】

 

1.「不登校とはどのような状態を言うのですか?」

 

文部科学省は「不登校」をこのように定義しています。

 

「年間30日以上欠席した児童生徒のうち、病気や経済的な理由を除き、何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にある者」

 

すなわち、月3日以上、はっきりした理由もなく欠席がある場合に、この定義があてまると言えます。

 

 

2.「現在、不登校の子供はどのくらいいるのですか?」

 

2015年8月に発表された文部科学省の学校基本調査によると、不登校の小中学生は2014年度、合計12万2902人となっています。小学生は255人に1人、中学生は36人に1人の計算になります。日本全体の小中学生の数は減少しているにもかかわらず、不登校の生徒数は増加しています。

 

 

3.「なぜ不登校になるのでしょうか?」

 

不登校になる理由は百者百様です。一般的には、学校へ通うことに不安や恐れがあり、それらが大きくなると身体的・精神的に疲れ果ててしまい、頭痛や腹痛、発熱や嘔吐などの症状が表れます。その結果として、学校に通えなくなります。不登校になった生徒の特徴として、「感受性が強く敏感な人」や「責任感が強く真面目な人」が多いと言われています。

 

 

4「『不登校』 と『ひきこもり』はどう違うのですか?」

 

厚生労働省は「ひきこもり」をこのように定義しています。

 

「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」

 

したがって、中高生でも上記のような状態であれば、「ひきこもり」と言えることになります。

 

 

 

【親はどうすればいい?】

 

5.「学校に行ったり行かなかったりしますが、どう対応すればいいでしょうか?」

 

前日の夜、「明日は学校へ行くよ」と親に約束します。でも、朝になると学校に通えないことがよくあります。約束しても、心と体が一致しないのです。学校に通ったり通わなかったりしている状態は、子供にとって「学校に通わなければならない」と、自分の辛さを我慢している一番しんどい状態だと言えます。毎日通い続けるエネルギーがないのです。「無理して毎日通い続けると、心や体が壊れてしまう」と無意識的に自分を守るための機能が働いているのです。さらに、不安や恐れが増大すると、腹痛や頭痛、発熱などの症状が体に表れ始めます。その結果として、学校に通えなくなります。

 

「甘やかしたら休み癖がつく」「逃げるのではなく、それを乗り越える力をつけよう」と周囲の大人は考えたり言ったりします。しかし、子供はすでに疲れており頑張れない状態です。乗り越える力をつけさせることも大切ですが、疲れたら休ませることも大切です。子供たちには、それぞれ自分のペースがあります。しっかりと休むことができれば、子供は自分のペースを見つけることができるでしょう。

 

子供への言葉がけとしては、「毎日学校に通うのは本当にしんどいよね、苦しかったら休んでもいいんだよ」と子供の気持ちに共感したうえで、休むことを提案します。自分の気持ちに共感され、休む選択肢を提案されることは、子供にとって安心する言葉がけになります。

 

 

6.「このままずっと学校を休んでいて大丈夫でしょうか?こんな状態が続くなんて正直耐えられません。つい、子供に不満を言いたくなってしまいます。どうすればいいでしょうか?」

 

確かに親御さんの不安な気持ちは自然だと思います。ここで、第一に考える必要があるのは、子供の気持ちです。学校に通えない状態で思い悩んでいる、子供の気持ちに寄り添うことが一番大切です。当然ながら、子供が回復し学校に復帰すれば、親御さんの悩みも解消されます。親御さんが不安定な状態では、子供は安心して休むことができず回復できません。周囲からは部屋で休んでいるように見えても、緊張した状態が続いているので、休めてはいないのです。

 

まず、気づかなければならないことは、不登校は子供の問題だということです。いつの間にか子供の問題を親の問題としてとらえてしまうと、子供に何かを言いたくなる気持ちが発生します。親の問題は、何でしょうか?子供が学校に行かないことで発生するであろう将来への不安、勉強の遅れや社会性の低下に対する恐れなどではないでしょうか?これらに関しては、別の場所で相談するべき問題と考えてください。

 

例えば、「不登校の親の会」に出向いて、これらの問題に対する不安や恐れを緩和することは可能です。親の会には、過去に悩んだ経験をされた親御さんもいらっしゃいます。彼らに話を聴いてもらい、まずは親御さん自身の不安を緩和し前向きになられることを考えてみてください。それは、子供の気持ちに寄り添ううえで非常に有効な方法です。親が安定することは、子供が安定することにつながります。決して一人で不安を抱え込まず、定期的にゆっくり話を聴いてもらえる場所を見つけてください。

 

 

7.「子供の気持ちに寄り添いたいと思っています。でも、学校を休んで、ずっとマンガやアニメの動画、ネットゲームばっかりしている姿を見ると、なかなか寄り添う気持ちになれません。早く学校に行って欲しいと思ってしまいます」

 

不登校を経験された方の講演会に行くと、「当時、ゲームをしたくてやっていたのではない。辛い状況を感じないようにするためにゲームをしていた」という話をよく聞きます。楽しんでゲームをしていたのではないと聞くと、多くの親御さんは意外に思われるかもしれません。でも、本当に辛い状態が続くと、人間は何かに頼らないと生きていけないのではないでしょうか。

 

これはある親御さんの話です。

「二十年近く前に、主人の仕事の都合で私はニューヨークに住んでいました。当時私は全く英語が理解できず、外出中に英語で話しかけられると頭が真っ白になりました。その状況に大変大きなストレスを感じていました。そんな時に、日本から持ってきた好きなマンガを読むことが、自分にとっての大きな支えでした。辛い状況を感じないようにするために、当時の私にとって日本のマンガが必要だったのです。だから、子供の心が回復するために支えになる存在が、ゲームやアニメであることはよく理解できます」

 

ゲームやアニメをしている子供の外側だけを見ずに、その内側にある気持ちを想像してみてください。まずは子供の視点に立つことが、子供の気持ちに寄り添うことにつながります。

 

 

8.「勉強が遅れることが心配です。少しでもいいので、自宅学習して欲しいのですが。。。」

 

確かに、学校に通っていないので、短期的に学力不足になることは否定できません。受験までの時間を意識して焦ってしまう気持ちは理解できます。どうしても、短期的な視点でとらえたり他の生徒と比較してしまうと、不安になりやすいと思います。

 

一方で、学力をつけることに関して、長期的に考えてみてはいかがでしょうか?長い人生で、1年や2年遅れたとしても、それほど大きな影響はないでしょう。逆に、この1年や2年が、子供にとって本当に好きなことを見つけるための大切な期間になる可能性も十分にあります。親御さんが、子供の気持ちに寄り添うことで、それを発見するための手助けになれる存在であったら、本当に素敵なことです。

 

例えば、もし将来的に大学に進学するとして、何となく進学するより本当にやりたいことを見つけて進学したほうが、充実した大学生活を送れるでしょう。今、無理に学力をつけさせることを考えるより、将来を見据えるための大切な充電期間として考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

9.「学校に行かなくなったことで、友達との接点がなくなってしまいました。このままずっと家にいると、社会性が低下してしまうのではと心配です」

 

学校に行かなくなり、友達との交流が少なくなったり無くなったりするのを間近で見ると、とても不安になる気持ちは理解できます。でも、親御さんが不安になる一方で、現時点での子供の状態にとっては必要な環境です。なぜなら、しんどい学校生活を離れて一人ゆっくりと過ごす時間も、回復するために必要だからです。

 

また、社会性を語るうえで、一番の土台になるのは「家庭」であると言われています。家庭内で、家族が互いを思いやり、その存在を認め合うことで、家族みんなが心休まる温かい家庭を築くことができます。それこそが、社会に出て組織で働くことになった時、求められる要素なのではないでしょうか。もし、不登校になったことで、家庭環境を見直し、お互いの存在を認め合う家族の強い信頼関係を作れたとしたら。。。それは十分に社会性が高まったことに等しいと思います。

 

ほとんどの場合において、適切に心が回復してきた段階で、第三者と関わろうとしたり、関わることが可能になる時期が訪れます。その適切な時期に、第三者として「みんなの家庭教師」が関わることも可能です。

 

 

10.「昼夜逆転の生活が1年以上続いています。そのうち元に戻るだろうと考えていましたが、さすがに長期間続いているので、最近気になってしまいます。学校に通えなくも、せめて規則正しい生活をして欲しいです」

 

確かに家族にとっては、昼夜逆転だと会話をする時間も限られますし、食事も一緒にできません。可能であれば、昼夜逆転だけでも改善してもらえたらと思うのは自然だと思います。

 

ところで、どうして不登校になった時に、昼夜逆転が多く起こるのでしょうか?経験者に聞いてみると、「多くの人達が活動している昼間は、何もしていない自分にとって、起きているだけで責められている気分になり、ひどく落ち込んでしまう」「夜中は、みんなが寝静まって、とても落ち着いた気持ちになるので生活しやすい」と言います。学校で非常に辛い体験をした彼らが、安心して休養をとるためには、「昼夜逆転をすること」が回復への大切な過程であることが理解できると思います。昼夜逆転を改善させようとするよりも、昼夜逆転をする意味を理解したうえで、子供の気持ちに寄り添う態度で接することが必要です。

 

ある不登校経験者は、「親から『昼夜逆転でもいいんじゃない。夜勤の仕事してる人はみんな昼夜逆転だよ』と言われた時、自分が認められたように感じて嬉しかった。一番心に響いた言葉でした」と言っています。

 

 

11.「ここ1か月近くの間、子供がお風呂に入ろうとしません。衛生的にも悪いので何とか入って欲しいです。どうすれば入るようになるでしょうか?」

 

過去にお風呂に入らなかった当事者に聞くと、「入るのが面倒くさかった」「入らなくても死ぬわけではないし困らなかった。だって家にいるだけだったから」 などと言います。つまり、お風呂に入らなくて困っているのは家族であり、当事者は全く困っていないのです。エネルギー不足の段階では、本人にとって必要性を感じないことに対するエネルギーはできるだけ使いたくないと無意識に判断しているようです。一方で、外出する必要性が出てきたりすると、お風呂に入ろうとする意識が芽生えます。

 

でも、一緒に住む家族はストレスが溜まります。そこで、親の会で話を聴いてもらったり、趣味を通して気分転換したり、とにかくストレスを溜め込まない工夫をしながら、子供の行動を待つ必要があります。

 

お風呂以外では、散髪をしない、爪を切らないなどがあります。基本的には、ある程度のエネルギーが溜まり、動き出したい気持ちが出てくると、外出したり人に会う機会があったりするので、自然と問題は解消されるようです。

 

 

12.「子供が暴力をふるうようになって困っています。どう対応すればよいか分かりません。昔はおとなしく暴れることは一度もなかったのにどうしてでしょうか?」

 

ある当事者が言っていました。「自分を理解してくれる人を殴ろうとは思わない」

 

暴力をふるうのは、必ず理由があります。今までおとなしく暴れなかったのは、我慢に我慢を重ねてきたからではないでしょうか。無理をして、自分自身を相当長い間、押し殺してきた結果、今の暴発につながっているのかもしれません。真面目で優しい人間ほど、良い子を演じる傾向があります。親御さん自身、そのことに関して思い当たる点はないでしょうか?

 

大切なことは、これまでの親子関係を冷静にふりかえることです。暴力の前に何があったのか?親の意思を子供に押し付けていなかったか?子供の気持ちを尊重していたか?

 

子供にとっても、本当は暴れたくないはずです。暴れた後に、冷静さを取り戻し後悔しているものです。暴れるのは、心の叫びであり、そうしないことには自分自身を保てなくなっているからです。まずは親子さん自身がそこに気づき、今後どんな親子関係を築いていきたいかを考えます。そして、子供に謝罪するところは謝罪し、子供を尊重し理解する姿勢を示したうえで、今後のことを話し合う必要があります。

 

どうしても身の危険を感じる場合は、一時的に安全な場所に避難したり、外部の専門機関に助けを求める方法をとってください。

 

 

13.「子供のために親ができる具体的な行動は何でしょうか?」

 

一つは、外部に積極的に出向いて相談を求めることです。金沢市・津幡町・小松市では、定期的に「不登校の親の会」(ホームページで詳細をご覧頂けます)が開催されています。現在悩んでいる親が、過去に悩んだ経験のある親に会って話を聴いてもらうことで、精神的に癒され前向きになることができます。親の精神面が充実すれば、子供の気持ちに寄り添う態度を保つことができます。

 

もう一つは、日記をつけて子供の様子を記録することです。ただ、子供をそっと見守るだけでなく、日記をつけて能動的に子供を見守ることで変化に気付きやすくなります。現在の問題点にも気付き、適切な対応をとることにもつながります。また、日記を書くことで「数ヶ月前と比較して、子供がこんなに回復してきた」と感じれば、気持ちを前向きに保つことができます。

 

 

14.「発達障害に関してです。保育園にいる頃から一人遊びが好きで、公園で遊ぶ機会があっても、みんなの輪の中に加わろうとはしませんでした。また、花火や滝の音などの大きな音が苦手でした。小学校での成績は良かったのですが、中学に入学後、しばらくして頭痛や腹痛を訴えて学校を休むようになりました。医療機関に相談したところ、『発達障害があり、集団生活が苦手なことが不登校になった原因の一つではないか』と伝えられました。確かに、小学校は規模が小さかったのですが、入学した中学校はマンモス校でした。今後、どのような対応をすればよいでしょうか?」

発達障害とは、子供の頃にあらわれる脳機能の発達の障害のことであり、いくつかのタイプがあります。不登校になる生徒の半数以上は、何らかの発達障害に関係しているとも言われています。

 

文部科学省の調査によると、特別支援学校や特別支援学級に在籍する生徒の割合は、小中学生全体の約3.3%。これとは別に、通常学級で学んでいるものの、指導に携わる複数の教員が「発達障害の可能性がある」と判断している生徒は約6.5%。両方合わせると、10%近くになり、およそ10人に1人が何らかの支援を必要としている現状があります。いまだに世間一般にはあまり知られていないかもしれませんが、非常に重く受けとめなければならない事実です。

 

発達障害の一つの特徴として、感覚が過敏で繊細であるがゆえに、集団生活である学校になじめない場合があります。その結果として、不登校になるケースがあります。発達障害の生徒さんをサポートするために周囲にできることは、「発達障害について知ろう」とする意識を持つことです。発達障害に関する知識に乏しいことが、多くの誤解を生み出す原因になります。

 

例えば、能力が高い生徒さんであっても、細かい所にこだわるがあまり、ペースが遅くなって「怠けている」と思われ、注意をされて傷つくことがあります。また、周囲とのコミュニケーションがうまくいかないために、自信をなくしてしまう生徒さんもいます。

 

発達障害についての知識を持つ人が増えれば、適切に対応できる場面も増えます。それが、生徒さんの自己肯定感の低下を防ぎ、不登校も防ぐことにつながります。発達障害は、個人要因だけでなく、社会環境(学校や地域)や養育環境の組み合わせで現れます。個人要因およそ40%に対して、環境要因およそ60%とも言われています。

 

今回の場合においては、今後の学校生活を考えるうえで、できるだけ規模の小さい学校やクラスで学ぶ環境を整えることが必要です。そのために、本人の承諾を得た上で、そのような学校へ転校することも一つの方法です。環境をきちんと整えることで、子供が持つ特性をさらに伸ばすことができるでしょう。

 

 

15.「長男が不登校です。最近、次男も時々ですが、学校に行くことを渋るようになってきました。次男からは、『お兄ちゃんは学校へ行かず、ゲームばっかりしてる』という言葉が聞かれます。今は何とかなだめて登校させていますが、いつか次男まで不登校になるのではと心配です」

 

長男の不登校が長期化した時点で、次男に対して兄が学校に行っていない状況を丁寧に説明する必要があります。兄は学校へ行きたくないわけではなく行きたくても行けないこと、ゲームをして楽しそうに見えても心の中は苦しい思いをしていること、現在は心が元気になるまで休養していること、家族みんなが兄をサポートする必要があることなどです。「兄は困っているから、家族みんなで応援しよう、あなたも協力してね」という姿勢で話すことが大切です。

 

さらに、次男には、「宿題がんばってるね、友達がたくさんいて幸せだね」と一緒に喜んであげてください。親が認めることで、きっと学校へ行く自分自身を肯定できるでしょう。「お兄ちゃんのようになってはダメだよ」「学校へ行かないと将来困るよ」と、長男や不登校を否定してはいけません。親がそのような姿勢で接すれば、弟は兄を馬鹿にするようになり、兄の心は回復するどころか心を閉ざし、家庭内暴力につながる恐れも出てきます。

 

 

16.「中学時代の大半を不登校で過ごした子供がいます。この春から全日制の高校に通うのですが、また不登校にならないかと非常に心配です」

 

今まで不登校が長かったのですから、心配になるのは自然です。親ができることは、高校側との連携を密にすることです。ぜひ一度時間をとってもらって、話をしておくのは非常に有効です。今までのことや、子供の気質や家庭の事情などを伝えてください。そして、今後について、些細な変化があれば互いに情報交換をする約束をしておけば、双方にとって安心だと思われます。可能であれば、スクールカウンセラーや養護教諭と話をしておいてもいいでしょう。

 

しかし、あまり心配しすぎるのもよくありません。援護射撃は最低限にしておくことが大切です。なぜなら、せっかくの子供の自立を妨げてしまう恐れがあるからです。子供が本来備えているはずの成長する力を信じることが、何よりも大切です。

 

 

17.「不登校になると、全日制高校を受験をしても合格するのは難しいのですか?特に、中学3年の出席状況が受験の合否に影響すると学校の先生から聞きました。それを聞くと、やはり焦ってしまいます」

 

学校の先生の立場上、登校させるための一つの刺激として、そのように言われるケースはよく耳にします。そのため、心の回復が十分に進んでいない生徒さんが焦って無理して登校した結果、再び通えなくなり、以前より心を閉ざしてしまうこともあります。親御さんも、担任の先生からこのように言われると不安になっても仕方ないでしょう。

 

実際のところ、石川県の場合では、私立高校に関しては、学力があればほぼ大丈夫だと言われています。不登校が合否に影響することはほぼないようです。ただし、非行や素行の悪さが原因で不登校になった場合は、不登校が問題というより、非行が問題で不合格になる場合はあるかもしれません。公立高校に関しては、比較的出願倍率の高い進学校など人気のある学校は、中学3年時の出席状況が合否に影響しやすいと言われています。また、それぞれの高校の先生方の判断によるところが大きいので、外部から分かりにくい部分もあります。

 

 

18.「中2の息子がいます。不登校になって1年4か月経過しました。一時期はひきこもりになっていました。その時と比較すると、一緒に買い物に出かけるようになり、少しずつ回復傾向にあるようです。でも、勉強はまったくしません。本人は「勉強したいけど、なかなかできないんだよね」と言います。単に逃げているだけのように、私からは見えます。『勉強したくてもできない』は本当なんですか?」

 
ひきこもり状態から外出できるまでに回復されて、本当に良かったですね。一つ良くなると、次の課題が見えてくるものです。「勉強したくてもできない」は本当です。確かに、外出するまでに回復してきているので、「勉強すればいいじゃない」と周囲は思うでしょう。

 

しかし、まだ勉強するためのエネルギーが不足していて、勉強したくてもできない状態ではないでしょうか。中3になり、進学を意識する頃に少しずつ動き出す可能性もあります。時機は強引には引き寄せることはできません。これまで通り、忍耐強く待つ姿勢が求められます。

 

勉強に対して前向きな態度や発言が少しずつ見られるようになれば、「家庭教師はどう?」などの提案を本人にするのも、勉強するきっかけ作りとして有効です。みんなの家庭教師では、LINEを通しての無料添削指導もおこなっておりますので、漢字や計算から少しずつ始めることが可能です。

 

 

19.「不登校になって1年半になる中3の息子がいます。私自身は、親の会に参加したり、書籍を読むなどして、不登校について勉強し息子の気持ちに寄り添うように努力してきました。ところが、父親が全く理解しようとしません。息子と顔を合わせるたびに、『いつまで学校に行かないつもりなんだ』と責めています。息子を『問題から目を背ける弱い人間』と決めつけており、私が息子の肩を持つと怒る有り様です。どうすればいいでしょうか?」

 

ある父親の言葉です。「自分の息子が不登校になったことを、父親として不甲斐なく、どうしても許せませんでした。人生ですから、良い時もあれば悪い時もあります。私自身、幾度も社会の荒波を乗り越えてきた自負があります。私の息子ですから、きっと乗り越えてくれると信じたかったのです。息子の不登校を認めることは、私の今までの人生を否定するようで、絶対に認めることはできませんでした」

 

第一に、心の底から憎くて息子さんを責める父親はいません。歯をくいしばって、一家の家計を支える父親の立場として、息子の将来を案じている心境を理解しようとすることが必要です。理解したうえで、家族間でできるだけ「ありがとう」を伝える回数を増やすことも非常に大切です。

 

第二に、そんな父親に対して、息子さんと一緒に過ごすことができる時間をつくってあげることが大切です。家族で外出したり、子供の趣味を一緒に楽しめるように配慮することで、少しずつ改善する道を探ってください。

 

第三に、可能であれば、親の会などに誘ってみましょう。もちろん、最初は抵抗を示すでしょう。でも、まず母親が親の会に参加して、その内容を話すうちに興味を示すかもしれません。親の会に来ている他の父親について話すことも効果的です。父親も家族以外の誰かに、不登校について話したい気持ちはあるはずです。

 

先ほどの父親の言葉の続きです。「親の会に参加した後、自分の考えを息子に押し付けていたことに気づきました。家族のために生きている私自身を、もっと認めて欲しかったのかもしれません。息子を一人の人間として、見ていませんでした。私にできて息子にできないこともあるし、息子にできて私にできないこともあります。息子を分かっているようで分かっていませんでした」

 

 
20.「息子は中学3年ですが、中学1年の秋から不登校になり、現在も学校には通っていません。『自分の子育てが間違っていたのか』と自分で自分を責める毎日です。正直言うと、毎日が非常に辛く、虚しさや挫折感でいっぱいです。周囲から責められるわけではないし、夫も優しく接してくれるのですが、自分で自分を責めてしまいます」

 

今まで頑張って真面目に子育てをしてきた人だからこそ、自分で自分を責めてしまいます。周囲から「自分を責めないでください」と言われても、責めてしまうでしょうし、不登校に関する書籍を読み「自分を責める必要はありません」という文章を目にしても、おそらく責めてしまうでしょう。

 

まずは、自分や家族だけで悩むのではなく、不登校の子供がいた親御さんに会って話を聴いてもらうことが必要です。過去に同じ経験をされた親御さんに会うことで、気持ちはずいぶんと楽になります。ホームページで紹介されている「親の会」に参加すれば、話を聴いてもらえるだけでなく、いろいろな方の経験談も聴くこともできるので勇気づけられます。

 

「親の会」に初めて行かれた親御さんの多くは、「自分以外にも不登校で悩む方がこんないるんだ」と驚かれます。そして、「もう少し早くここで話を聴いてもらえたら良かったなぁ」と言われる方も多くいらっしゃいます。

 

親の会から帰宅する時には、気持ちがいくらか前向きになっているでしょう。気持ちが前向きになれば、子供への接し方にゆとりが生まれ、今までと違う考え方をする余裕も生まれます。自分を責める気持ちも和らぐかもしれません。何度か「親の会」に行くことによって徐々に気持ちが安定してきますので、定期的に行かれることをお勧めします。

 

 

「不登校 Q&A」は随時更新していきます。

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今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜【完全版】

2016/04/21

【子供の視点】

中野太郎(仮名)さんは約7年前に高校を休学し中退。おととし、高校認定試験に合格された後、今年1月のセンター試験を受験し、神奈川県の大学に合格されました。みんなの家庭教師では、約7年近くの間、ほぼ週に一回、中野太郎さんとお会いして様々な話を伺ってきました。神奈川県へ旅立つ前に、これまでの過程を振り返りながら、御自身が、「今、不登校について思うこと」を話して頂きました。

 

 

 

ーー学校に通えなくなったきっかけを話して頂けますか?

 

中野太郎さん   もともと緊張しいな性格で、先輩や先生の前で気を使いすぎることが多かったんです。中学の時、勉強は出来たほうでした。塾に行っていましたが、大きなストレスになっていたように感じます。頭痛に悩まされた時期もありました。進学校に入り、そのストレスはさらに大きくなりました。不登校になった原因の一つは、数学の先生が苦手だったことです。今思うと、実際その先生に何かを言われたわけじゃなかったのですが、クラスメイトが怒られるのを目の当たりにして、ビクビクしてしまい、自分が怒られたように感じていました。

 

ーーそれも大きなストレスになっていたのですか?

 

中野太郎さん   はい、そうです。それだけが理由ではありませんが、徐々に学校に通いづらくなった理由の一つだと思います。

 
ーー学校に通えなくなった時、支えになったものはありますか?

 

中野太郎さん   ゲームやアメリカンフットボール、バスケットボールです。アメフトやバスケのスポーツ中継は、母と一緒に観ることが多かったです。最初、母はルールを知らなかったので、僕が説明しました。スポーツ観戦を通して、母に話を聴いてもらえたように思います。今振り返ると、自分一人だけでなく、母と二人で観たことに意味があったように思います。

 

ーーゲームも好きだったんですか?

 

中野太郎さん   ネットゲームもやりました。ときどき、学校に行かずにゲームをやっている自分自身を客観的に見て、「オレ、なにやってんだろう」と、気にしてしまうことはありました。その時に、ゲームを通じてですが、身元を明かさずに他者と交流できたことで、完全に引きこもっていない感覚を保てました。ネットゲームの中ですが、外部との接点を持つことができたので、そこは良かったと思います。

 

ーー学校に通えなくなった当時、親にしてもらって良かったこと、嬉しかったことは何ですか?

 

中野太郎さん   学校に行けなくなった時に、次のことをせっつかれなかったというか、次どうするかを催促されなかったのは、非常にありがたかったですね。

 

ーーそっとしてもらえたということですか?

 

中野太郎さん   そうですね。おそらく親は、心の中では、いろいろな思いはあったのだろうと思いますが。あと、母の知り合いで、不登校になっている子供さんの話を通して、僕にいろいろ聞いてきたことがありました。その不登校の子供さんの状況をひと通り説明したあとに、「あんたなら、どう思う?」「その子供さんは何が嫌なんかね?」などと質問されました。僕は、その質問に対し、その子供さんの身になって答えたのですが、その時に頭の中が整理されて、自分自身の中で「気付き」があったように思いました。

 

ーーつまり、他の子供さんの話を通して、客観的に考え、思考の整理ができたということでしょうか?

 

中野太郎さん   そんな感じでした。自分のことではなく、他の子供さんの話だったせいか、冷静になって考えられたのだと思います。結果的に、とても良かったと思います。

 

ーー学校に通えなくなった当時、「親にもっとこうして欲しかった」というのはありますか?

 

中野太郎さん   今だから言えるのですが、不登校は子供だけの問題ではないと思います。だから、親はもう少し早く外部に助けを求めたほうが良かったと思います。親が不安になると、子供も不安になります。逆に、親がのびのびしている姿は、子供を安心させると思います。

 

ーー外部に助けを求めるのは、早いほうがいいですか?

 

中野太郎さん   早いほうが良いと思います。なかなか難しいかもしれませんが、子供が学校に通えていないことを、周囲にオープンにして助けを求めることで、親が楽になり、いずれは子供も楽になるのだと思います。

 

ーー当時の学校の先生に、して欲しかったことはありますか?

 

中野太郎さん   僕の場合は、数学の先生が一番の問題でした。予習ができていなかった場合、罰として生徒を立たせていました。それを見るたびに、非常に責められている気持ちがして、「自分がそうなったらどうしよう」と考えてしまい、とても大きなストレスになりました。もちろん、その方法で勉強に励む生徒もいると思うので、一概に効果的ではないと言うつもりはありませんが、僕のように非常に苦しむ生徒が存在する事実を知ってほしいと思います。

 

ーー今までの約7年間で、中野さんにとって、励まされたり勇気づけられたりした出来事はありましたか?

 

中野太郎さん   不登校になって数年経過した後に、少しずつですが体調が安定し始めました。ちょうどその時期に親から誘われて、過去に不登校を経験した方の講演会に行きました。そこで、聞いた不登校の体験談は、当時の僕に「なんとかなるよ、きっと大丈夫だよ」と思わせてくれました。

 

ーーこの7年間で一番苦しかったことは何でしたか?

 

中野太郎さん   まず最初は不登校になる直前が苦しい時期でした。学校に行ったり行かなかったりしていた時期です。また、その後学校に行かなくなって昼夜逆転し、ある程度経った時期、毎日夕方近くになると、学校から帰宅する途中の小学生の話す声がよく聞こえてきました。その声を聞いた瞬間に、「あぁ、オレは今なにをやっているんだろう」と思ってしまい、非常に苦しかったです。

 

ーーそういう苦しい時期から脱け出せるきっかけは何だったのでしょうか?

 

中野太郎さん   ある時期から、アルバイトを始めたんです。まず最初にポスティング(チラシを配布する仕事)を始め、それからしばらくして、同時並行で食堂でも働き始めました。皿洗いはもちろん、簡単な調理も任されました。その他には、親の知り合いの方の紹介で、バスケのチームに混ぜて頂いて、ときどき体を動かしたりもしました。それ以降は、小学生の声はあまり気にならなくなりました。

 

ーー「何もしなかったことが辛かった」ということなんですね?

 

中野太郎さん   はい、そうです。ある程度元気になったことで、じっと家にいることが苦痛になっていたのかもしれません。アルバイトをすることで、社会に参加している実感がありました。今考えると、アルバイトやスポーツをして体を動かすことで、心のリハビリにもなっていたのかもしれません。

 

ーー子供が学校に行かなくなった時に、親はどんな言葉をかければいいのでしょうか?

 

中野太郎さん  「学校に行かなくていいよ」と言ってください。最初、親にとっては非常に勇気がいると思いますが、子供は非常に楽になります。無理やり学校に行かせようとすることは、絶対にして欲しくないです。

 

ーー「学校に行かなくていいよ」という言葉は、多くの親にとっては言いにくい言葉かもしれません。

 

中野太郎さん   親の立場からは、そうかもしれません。でも、子供の気持ちに寄り添い、親も変わる勇気を持つ必要があると思います。

 

ーー現在、不登校で思い悩んでいる人達に、どういう言葉をかけたいですか?

 

中野太郎さん   「学校に行かなくていいよ。何とかなるよ」です。今の世の中、逆境を乗り越えることは非常に称賛されると思います。それを否定するつもりはありません。でも、苦難に対して攻め続ける重要性を説くだけでなく、時には勇気ある撤退を説く必要もあると思います。

 

ーー歴史が好きな中野さんらしい表現です。人生という戦いを、攻めたり引いたりすることで乗り切っていこう、というのは共感できます。緩急をつけるイメージですね。

 

中野太郎さん   はい。スポーツや将棋などがそうであるように、人生も同じかもしれません。まだ僕は23年しか生きてませんけど(笑)

 

ーー親は子供と接する時に、どんなことを心がければ良いでしょうか?

 

中野太郎さん   普段から子供の気持ちに寄り添うことだと思います。子供が大きすぎるストレスを抱え続ける前に、「大変やったね。苦しかったね」と、悩みを聴いてあげて欲しいです。「どうして子供は親に相談しないのか?」「なぜ肝心な時、周囲に何も話してくれないのか?」と親の立場でよく言いますが、子供の立場で言うと「親に相談しない」のではなくて「親に相談できない」のだと思います。「ここで逃げたら、どこに行っても逃げ続けることになるぞ」と、苦難を乗り越えることを前提として子供と接することは、『相談する=恥』だと感じてしまいます。相談したくても相談できない辛い気持ちを、親や世間の大人に分かって欲しいです。

 

ーー「普段から」の環境づくりが大切だということですね。とても重要なポイントだと感じます。

 

中野太郎さん   はい。何かあった時に、子供にとって親に相談しやすくなるような環境づくりを、普段から親には意識して欲しいです。

 

ーーこの7年間をふりかえって、不登校から学んだことは何でしょうか?

 

中野太郎さん   考え方が変わりましたね。進学校に通っていた頃までは、「〜しなければならない」「〜するべき」といった考え方でした。白黒思考、ゼロか百の思考だったと思います。進学校に入るまで、大きなストレスを抱えながらも、その考え方で何とかやってきました。でも、とうとう疲れ果てて、体に影響が出てしまいました。その時に、やりすぎると良くないという事を痛感しました。それからは、一歩ひいて自分の考え方を見ることの大切さを学びました。「本当に自分を追い込む必要があるのか?」と考えられるようになったと思います。

 

ーー確かに、今後の人生にとって、その学びは非常に大きいですね。

 

中野太郎さん   はい、非常に大きいと思います。

 

ーー最後になりますが、約7年間、みんなの家庭教師は中野さんと接してきました。中野さんにとって、家庭教師にしてもらって嬉しかったことは何でしたか?

 

中野太郎さん   僕の場合は、勉強というよりは、いろいろな話をしたり、聴いてもらって共感して頂いたことですかね。家族以外の第三者に、定期的に接する機会をもらえたことで、落ち込んでいた時でも、家庭教師の先生に会うと気分が変わりました。家庭教師というよりは、カウンセリングの役割が大きかったと思います。また、他の生徒さんの話を聴くことも出来て、とても励みになりました。今までありがとうございました。

 

ーーこちらこそ、たくさん話して頂き、本当にありがとうございました。充実した大学生活をおくってくださいね。応援してます!

 

 

 

 

 

 

【親の視点】

ここからは、お母様へのインタビューを掲載します。これまで約7年間の中で、今だから言えることや多くの気付かれたことを話して頂きました。

 

 

ーー太郎くんが学校に通えなくなった当時、どんな気持ちでいらっしゃいましたか?

 

中野さん母   正直、「まさか、うちの子が」という感じでしたね。うちは息子二人なんですが、私にとってはどちらかと言えば、弟の太郎よりも兄の方が心配の種だったんです。典型的な次男坊で不登校とは無縁だと思っていただけに、本当に「まさか。。。」という感じでした。高校を休学した時、彼はうつ病にかかっていました。

 

ーーそうだったんですね。当時、家族の方は、太郎くんの不登校をどのように受けとめていらっしゃいましたか?

 

中野さん母   今思うと、当時はあまり重大には受けとめていなかったように思います。兄は弟を励まそうとして手紙を書いたんですが、それを読んだ太郎は「それができたら苦労しないよ」と怒ってしまい逆効果でした。主人は、うつ病の治療について、別の病院でもう少し具体的な治療を受けさせることを望んでいましたが、太郎はそれを嫌がりました。結局、うつ病は高校をやめた後まで、2年間ぐらい続きました。

 

ーーお母様にとって、苦しかった時期はいつでしたか?

 

中野さん母   一つは、太郎が昼夜逆転になってしまった時期です。もちろん初めてのことだったので、非常にショックを受けました。もう一つは、うつ病だった太郎に、主人が別の病院での治療を提案した際、太郎がそれを断わった時期です。主人の思いも太郎の思いも両方理解できただけに、板挟みになっているようで本当に苦しかったです。

 

ーーそれは苦しかったですね。その苦しかった時期、一番の支えになったものは何かありましたか?

 

中野さん母   支えというか、当時いろいろな親の会に行って、当時の状況を話していました。そこで話を聴いてもらえる時は、居心地が良く、わりと気持ちが安定していました。また、反省したり自分を責めたりしている間は、悲劇のヒロインになったような気分になって、気持ちが高揚していましたが、後になって疲れたり、しんどくなったりした時もありました。今思えば、当時は自分が何とか楽になりたいというか、子供のことより自分のことで精一杯だったと思います。

 

ーー現在と当時を比較して、お母様の太郎くんへの接し方の違いはありますか?

 

中野さん母   以前は、太郎を心配するふりをして、自分の心配ばかりをしていた気がします。例えば、親の会で、非行で暴力をふるう子供さんの話を聞いた時に「うちの子供は引きこもりで良かった。うちのほうがまだマシだ」と安心していました。また、太郎が不登校であることを最初の一年間、世間体もあり、親戚など外部に対して隠していました。その後、親戚の前で、私からでなく彼の口から「今、自分は不登校で学校に行っていない」と言わせてしまいました。太郎の心情を無視し、人格を全否定していました。本当に残酷なことをしましたし、太郎に対して申し訳なかったです。今ふりかえると、当時は自分に余裕がなかったというか、自分中心に生きていて、イライラしていました。不登校を、子供の問題として考えてやれず、自分の問題としてばかり考えていたためです。私の場合、そこに気付いた時が、太郎の気持ちに寄り添うための出発点だったと思います。

 

ーー不登校という問題を「子供の問題」としてでなく「親の問題」として考えてしまうと、自分だけの気持ちに向き合ってしまい、子供の苦しんでいる気持ちに気付きにくくなってしまいます。その結果、心が伴わない言葉だけの共感になってしまい、子供の気持ちに十分寄り添えないということですね。

 

中野さん母   そうです。うちの場合、高校を休学している間は、どうしても復学を基本路線と考えていました。その後、退学を決めて完全に高校と切れた瞬間に、子供の表情がガラッと変わりました。気持ちが楽になり、完全に心が休まるようになったのです。その姿を目のあたりにして、「もっと早く子供の気持ちを第一に考えてあげれば良かった」と後悔しました。「これからはもっと太郎の味方でいよう」と思い、ようやく子供の気持ちに寄り添えるようになっていった気がします。

 
ーーよく親御さんから、「うちの子は、もう一年以上も学校を休んでいます。もう十分休んでいるはずなのに学校に行けません。こんな状態がいつまで続くのでしょうか?」という内容の質問を受けます。どう思われますか?

 

中野さん母   以前の私も同じ気持ちでした。学校に復帰するためには、子供が心身ともに休養して心が回復する必要があると言われています。まず確認したいのは、「子供が安心して休養できている」状態かどうかです。「親自身だけが子供を学校に復帰させたい意思があり、そのために休養させているなら、子供は安心して休養できない」状態だと思います。

 

ーー「長い間学校を休んでいても、子供が安心して休養できておらず、心の回復が進んでいない」ことに、親は気付いていないということですね。

 

中野さん母   そうです。先ほども触れましたが、うちの場合は休学中だった高校をやめて、完全に学校と離れた時に初めて休養できる環境になりました。その時に初めて、「学校に復帰してもらうために休ませていた」という私の気持ちが強かったことに気付きました。同時に、「学校に復帰させたい気持ちが子供に伝わり、今まで子供は安心して休もうにも休めなかったのではないか」とも思いました。

 

ーー「学校を休んでいいよ」と言葉だけ伝えても、気持ちも含めて寄り添っていなければ、子供は十分に休めないということですね。

 

中野さん母   その通りです。

 

ーー「子供の気持ちに寄り添う」と言いますが、具体的にどういう姿勢が必要だと思われますか?

 

中野さん母   第一に、学校に通えず辛い思いをしているのは子供です。つまり、不登校は「子供の問題」です。だから、まず親が子供のためにできることは、「そんなに辛い思いをしてたんだね。今まで辛かったね」と、子供の気持ちに寄り添い、心の回復を進めることなんです。では、「親の問題」は何かというと、子供が不登校になることで発生するであろう、さまざまな不利益を想像し不安になることです。勉強が遅れる、社会性が身につかない、世間体が気になるなどです。

 

ーーまず、「子供の問題」と「親の問題」を区別するんですね。区別できているようで区別できていないのかもしれません。

 

中野さん母   はい。親と子供の問題をごっちゃにしてしまうと、「(子供のためにというよりも、親の焦りを解消するために)早く学校へ復帰して欲しい」となり、質問のように「いつまで家で休んでいるの?」とつい言いたくなります。その時はすでに、子供の気持ちに寄り添えていない現実があり、子供は休養できず心の回復が進みません。

 

ーー子供の問題を親の問題としてとらえてしまうと、親は自分の気持ちを優先しがちになります。そうなると、思い通りにならない子供の状態にイライラしてしまいやすくなりますね。

 

中野さん母   最優先すべきは、親の気持ちではなく、子供が安心して休養できる環境を作ることです。ましてや、無理やり学校へ連れていったり、学校へ行くように圧力をかけることは長い目で見ると逆効果です。

 

ーー子供の立場から考えると、「これ以上学校に行きたくない」と思っても、親から「この状況から逃げるな。ここで逃げたらどこに行っても同じだぞ。乗り越えることで成長するんだ」と言われたり、今までそう言われて育った背景があると、「他の選択肢を探すことは逃げることで、恥ずかしいことなんだ」と考えてしまいます。当然「行きたくない」と言いたくても、言うことはできなくなります。そうなると、逃げ場がなくなり本当に辛いと思います。

 

中野さん母   そうなんです。親の姿勢が変われば、子供は安心して休めるので心の回復が早くなります。また、今の学校にこだわらなくなり、子供自身が違う選択肢を考えやすくなります。一方で、親は今まで子供について考えていた時間を、自分のために使うことができます。その結果、親がのびのびと自分らしく生きることができるようになります。その姿をきっと子供は見ているので、自然に子供も変わっていきます。

 

ーーところで、「親の問題」はどのように解決されましたか?

 

中野さん母   私の場合、親の会で話を聞いてもらうことで、不安をある程度は解消することができました。その親の会には、月に一度参加していましたが、最初の頃はその間隔では間に合わず、毎週誰かに聴いてもらわないと苦しい状態でした。親の問題が解消されないと親が苦しくなり、子供の気持ちに寄り添うことも難しくなります。親の気持ちを聴いてもらう場所を見つけることは大切だと思います。

 

ーー「話す」は「放す」と言います。日頃の親の蓄積した思いを「放す」場所を見つけることが、子供の気持ちに寄り添うために大切だと改めて実感しました。

 

中野さん母   はい。親自身が生き生きと、自分の人生を楽しみ出すと、この種の質問は自然に頭の中から消えてしまうと思います。

 

ーーこれもよくある質問の一つですが、中野さんはどう思われますか?「子供の気持ちに寄り添いたいと思っています。でも、学校を休んで、ずっとマンガやアニメの動画、ネットゲームばっかりしている姿を見ると、なかなか寄り添う気持ちになれません。早く学校に行って欲しいと思ってしまいます」

 

中野さん母   数年前に、不登校を経験された方の講演会に出たことがあります。その方から、「当時、ゲームをしたくてやっていたのではない。辛い状況を感じないようにするためにゲームをしていた」と聞きました。

 

ーー楽しんでゲームをしていたのではないと。これを聞くと、多くの親御さんは意外に思われるかもしれません。

 

中野さん母   そうですね。でも、私の場合は違ったんです。その話を聞いた時、二十年近く前に主人の仕事の都合でニューヨークに住んでいた頃の自分を思い出しました。当時私は全く英語が理解できず、外出中に英語で話しかけられると頭が真っ白になりました。その状況に大変大きなストレスを感じていました。そんな時に、日本から持ってきた好きなマンガを読むことが、自分にとっての大きな支えでした。辛い状況を感じないようにするために、当時の私にとって日本のマンガが必要だったのです。だから、子供の心が回復するために支えになる存在が、ゲームやアニメであることはよく理解できます。

 

ーーそのようなお母様ご自身の体験を通して、太郎くんに対して具体的にどのように接したのですか?

 

中野さん母   息子は、アメフトやバスケ、ネットゲームが好きでした。私は何とか太郎と同じ時間を共有したいと思いました。最初は全くアメフトやバスケのルールを知りませんでした。それでも、太郎に教えてもらいながら、一緒にテレビで試合を観戦しました。録画された試合を観ることが多かったのですが、私が質問するたびに、太郎は一時停止ボタンを押してから、試合の状況を丁寧に解説してくれました。

 

ーーそうだったんですね。太郎くんの好きなことを共有し、共感されたのですね。

 

中野さん母   はい、太郎も生き生きとした表情で、いろいろ教えてくれました。

 

ーー子供の気持ちに寄り添うという視点で考えると、中野さんのように子供の好きなことに関心を持って、共有・共感することが大切なんだと改めて思いました。

 

中野さん母   そうですね。一つだけでいいので共有・共感できるものがあればと思います。

 
ーーこれまで、毎日心がけていたことはありますか?

 

中野さん母   一つは、食事です。食べることは非常に大切だと考えていましたので、食べようが食べまいが、太郎の食事をしっかりと作っていました。もう一つは、家族以外の第三者の風を入れることでした。家庭教師の先生の他にも、当時お世話になっていた鍼灸の先生に来て頂きました。できるだけ、家族以外の人間が入る家にしたいと考えていました。

 

ーー不登校になった後、社会性を身につけることに関して、どう考えておられたのですか?

 

中野さん母   先ほどと同じ答えになりますが、できるだけ第三者の人間と会わせるようにしました。家庭教師など家族以外の方との接触を保ったことによって、その後外に出て、バスケのサークルやバイト先の人達と触れ合いやすくなったと思います。

 

ーーこれまでを振り返り、「あの時、もっとこうしておけば良かった」と後悔していることはありますか?

 

中野さん母   ある時に、太郎に家事を手伝ってもらおうと思い、一緒に食事を作ったことがありました。今では、太郎は料理ができるようになっていますが、当時は料理の経験も少なかったので、私一人で準備したほうが早く作れたんです。それを察した太郎が「僕が手伝って、役に立つの?」と聞いてきました。私は「まあ、助かるかな。。。」と曖昧な返事をしてしまいました。当然ながら、それ以降は手伝ってくれなくなりました。あの時、「あんたに手伝ってもらって助かるわ〜、いつもありがとう」と答えたほうが良かったと今は思います。

 

ーー「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたほうが良かったということですね。

 

中野さん母   はい、「ありがとう」は相手の存在価値を高める言葉ですよね。

 

ーーどんな時に、太郎くんの回復を感じ始めましたか?

 

中野さん母   一つは、バスケのサークルに入った時、練習時間に合わせて現地へ行くことができた時です。また、そのチームメイトのホームパーティーに誘われて、そこへ行くことができた時もそれを感じました。もう一つは、バイトを始める際、太郎が自分で電話をして、先方と話をすることができた時です。

 

ーーお母様が、不登校を通して学ばれたこと、気付いたことは何でしたか?

 

中野さん母   一つは、「〜であるべきだ、〜しなければならない」の考え方から、いろいろな考え方があっていいと思えるようになったことです。その結果、以前よりも自分自身を好きになれました。もう一つは、太郎の不登校を通して、彼の人間像を知ることができました。学校に行かなくなる以前までは、子供の全部を理解していると思っていました。でも、やんちゃな次男坊だと思っていた彼に潜んでいた繊細な部分を知ることで、実はそうではなかったことに気づかされました。

 

ーー親だからといって、子供の全てを理解できていたわけではなかったのですね。

 

中野さん母   そうです。「子育ては自分育て」であると、本当に実感しました。学校に行けなくなって今に至るまで約7年経過しましたが、かかった年数分、子供に手をかけさせてもらったと感じています。例えば、もっと大人になって親元を離れた後に、会社に行けなくなって引きこもってしまっても、太郎のために多くのことを出来ないのではないかと思います。今だから言えることかもしれませんが、私の目の前で起こってくれて良かった気がします。

 

ーー最後ですが、みんなの家庭教師に来てもらって良かったことは何でしたか?

 

中野さん母   子供を客観的に見てくれる人がいることで、親の目線では気付かないことを指摘して頂いたことです。第三者の言葉で、気付かされることが多くありました。また、太郎にとっても、定期的に家族以外の方と話をすることで、気分がリフレッシュされ、その後、他の外部とのコミュニケーションが円滑になったと思います。約7年間ありがとうございました。

 

ーーこちらこそ、長い間ありがとうございました。今日のインタビューを長時間引き受けてくださり、大変感謝しております。本当にありがとうございました。

 

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今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❼

2016/04/20

ーーこれまで、毎日心がけていたことはありますか?

 

中野さん母   一つは、食事です。食べることは非常に大切だと考えていましたので、食べようが食べまいが、太郎の食事をしっかりと作っていました。もう一つは、家族以外の第三者の風を入れることでした。家庭教師の先生の他にも、当時お世話になっていた鍼灸の先生に来て頂きました。できるだけ、家族以外の人間が入る家にしたいと考えていました。

 

ーー不登校になった後、社会性を身につけることに関して、どう考えておられたのですか?

 

中野さん母   先ほどと同じ答えになりますが、できるだけ第三者の人間と会わせるようにしました。家庭教師など家族以外の方との接触を保ったことによって、その後外に出て、バスケのサークルやバイト先の人達と触れ合いやすくなったと思います。

 

ーーこれまでを振り返り、「あの時、もっとこうしておけば良かった」と後悔していることはありますか?

 

中野さん母   ある時に、太郎に家事を手伝ってもらおうと思い、一緒に食事を作ったことがありました。今では、太郎は料理ができるようになっていますが、当時は料理の経験も少なかったので、私一人で準備したほうが早く作れたんです。それを察した太郎が「僕が手伝って、役に立つの?」と聞いてきました。私は「まあ、助かるかな。。。」と曖昧な返事をしてしまいました。当然ながら、それ以降は手伝ってくれなくなりました。あの時、「あんたに手伝ってもらって助かるわ〜、いつもありがとう」と答えたほうが良かったと今は思います。

 

ーー「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたほうが良かったということですね。

 

中野さん母   はい、「ありがとう」は相手の存在価値を高める言葉ですよね。

 

ーーどんな時に、太郎くんの回復を感じ始めましたか?

 

中野さん母   一つは、バスケのサークルに入った時、練習時間に合わせて現地へ行くことができた時です。また、そのチームメイトのホームパーティーに誘われて、そこへ行くことができた時もそれを感じました。もう一つは、バイトを始める際、太郎が自分で電話をして、先方と話をすることができた時です。

 

ーーお母様が、不登校を通して学ばれたこと、気付いたことは何でしたか?

 

中野さん母   一つは、「〜であるべきだ、〜しなければならない」の考え方から、いろいろな考え方があっていいと思えるようになったことです。その結果、以前よりも自分自身を好きになれました。もう一つは、太郎の不登校を通して、彼の人間像を知ることができました。学校に行かなくなる以前までは、子供の全部を理解していると思っていました。でも、やんちゃな次男坊だと思っていた彼に潜んでいた繊細な部分を知ることで、実はそうではなかったことに気づかされました。

 

ーー親だからといって、子供の全てを理解できていたわけではなかったのですね。

 

中野さん母   そうです。「子育ては自分育て」であると、本当に実感しました。学校に行けなくなって今に至るまで約7年経過しましたが、かかった年数分、子供に手をかけさせてもらったと感じています。例えば、もっと大人になって親元を離れた後に、会社に行けなくなって引きこもってしまっても、太郎のために多くのことを出来ないのではないかと思います。今だから言えることかもしれませんが、私の目の前で起こってくれて良かった気がします。

 

ーー最後ですが、みんなの家庭教師に来てもらって良かったことは何でしたか?

 

中野さん母   子供を客観的に見てくれる人がいることで、親の目線では気付かないことを指摘して頂いたことです。第三者の言葉で、気付かされることが多くありました。また、太郎にとっても、定期的に家族以外の方と話をすることで、気分がリフレッシュされ、その後、他の外部とのコミュニケーションが円滑になったと思います。約7年間ありがとうございました。

 

ーーこちらこそ、長い間ありがとうございました。今日のインタビューを長時間引き受けてくださり、大変感謝しております。本当にありがとうございました。

今週開催される「親の会」のご案内

2016/04/17

津幡町発達障害児の親の会クローバー勉強会〜『就労・自立に向けて・子供のストレングス(強み)の見つけ方!』

 

「はたらく」につなげるために・・・親にも子供にも大切なことは何なのか⁉︎一緒に考えてみませんか!!

 

日時:4月22日(金)


場所:石川県河北郡津幡町加賀爪二3番地 津幡町役場となり福祉センター1階保養室


時間:午前10〜12時


会費:無料ですが、一人一つお菓子を持参


電話:076-288-6276
備考:当日参加OKです

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なお、「おーぷんはうす」の今月の定例会はありません。4月23日(土)に多田元(ただ はじめ)弁護士の講演会が開催されるためです。関心のある方はぜひご参加ください。

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今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❻

2016/04/14

ーーこれもよくある質問の一つですが、中野さんはどう思われますか?「子供の気持ちに寄り添いたいと思っています。でも、学校を休んで、ずっとマンガやアニメの動画、ネットゲームばっかりしている姿を見ると、なかなか寄り添う気持ちになれません。早く学校に行って欲しいと思ってしまいます」

 

中野さん母   数年前に、不登校を経験された方の講演会に出たことがあります。その方から、「当時、ゲームをしたくてやっていたのではない。辛い状況を感じないようにするためにゲームをしていた」と聞きました。

 

ーー楽しんでゲームをしていたのではないと。これを聞くと、多くの親御さんは意外に思われるかもしれません。

 

中野さん母   そうですね。でも、私の場合は違ったんです。その話を聞いた時、二十年近く前に主人の仕事の都合でニューヨークに住んでいた頃の自分を思い出しました。当時私は全く英語が理解できず、外出中に英語で話しかけられると頭が真っ白になりました。その状況に大変大きなストレスを感じていました。そんな時に、日本から持ってきた好きなマンガを読むことが、自分にとっての大きな支えでした。辛い状況を感じないようにするために、当時の私にとって日本のマンガが必要だったのです。だから、子供の心が回復するために支えになる存在が、ゲームやアニメであることはよく理解できます。

 

ーーそのようなお母様ご自身の体験を通して、太郎くんに対して具体的にどのように接したのですか?

 

中野さん母   息子は、アメフトやバスケ、ネットゲームが好きでした。私は何とか太郎と同じ時間を共有したいと思いました。最初は全くアメフトやバスケのルールを知りませんでした。それでも、太郎に教えてもらいながら、一緒にテレビで試合を観戦しました。録画された試合を観ることが多かったのですが、私が質問するたびに、太郎は一時停止ボタンを押してから、試合の状況を丁寧に解説してくれました。

 

ーーそうだったんですね。太郎くんの好きなことを共有し、共感されたのですね。

 

中野さん母   はい、太郎も生き生きとした表情で、いろいろ教えてくれました。

 

ーー子供の気持ちに寄り添うという視点で考えると、中野さんのように子供の好きなことに関心を持って、共有・共感することが大切なんだと改めて思いました。

 

次回へ続く。

今週開催される「親の会」のご案内

2016/04/11

今週は4月15日金曜日に、金沢市では「おーぷんはうす」のお茶会が、小松市では「えいむ石川」の定例会が開かれます。ゆったりとした居心地の良い空間で、日頃のモヤモヤを吐き出してみませんか?

 

同じ悩みを抱えた経験がある方に、話を聴いてもらうことで、癒され前向きになって帰宅できます。帰宅後は、気持ちにゆとりが生まれ、子供さんへの接し方にも余裕が出てきます。

 

当日参加もOKですし、ご都合の良い時間帯だけの参加も可能です。
お気軽に連絡ください。

 
4月15日(金) おーぷんはうす お茶会
場所:金沢市泉野出町 (詳細な場所はお電話でお知らせします)
時間:午後2〜5時頃
会費:300円
電話:090-5175-5432

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4月15日(金)えいむ石川 〜学校が苦手な子供の親の会〜
場所:小松市こまつまちづくり交流センター
時間:午後7〜10時頃
会費:500円
電話:090-7740-0761

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今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❺

2016/04/10

ーーよく親御さんから、「うちの子は、もう一年以上も学校を休んでいます。もう十分休んでいるはずなのに学校に行けません。こんな状態がいつまで続くのでしょうか?」という内容の質問を受けます。どう思われますか?

 

中野さん母   以前の私も同じ気持ちでした。学校に復帰するためには、子供が心身ともに休養して心が回復する必要があると言われています。まず確認したいのは、「子供が安心して休養できている」状態かどうかです。「親自身だけが子供を学校に復帰させたい意思があり、そのために休養させているなら、子供は安心して休養できない」状態だと思います。

 

ーー「長い間学校を休んでいても、子供が安心して休養できておらず、心の回復が進んでいない」ことに、親は気付いていないということですね。

 

中野さん母   そうです。先ほども触れましたが、うちの場合は休学中だった高校をやめて、完全に学校と離れた時に初めて休養できる環境になりました。その時に初めて、「学校に復帰してもらうために休ませていた」という私の気持ちが強かったことに気付きました。同時に、「学校に復帰させたい気持ちが子供に伝わり、今まで子供は安心して休もうにも休めなかったのではないか」とも思いました。

 

ーー「学校を休んでいいよ」と言葉だけ伝えても、気持ちも含めて寄り添っていなければ、子供は十分に休めないということですね。

 

中野さん母   その通りです。

 

ーー「子供の気持ちに寄り添う」と言いますが、具体的にどういう姿勢が必要だと思われますか?

 

中野さん母   第一に、学校に通えず辛い思いをしているのは子供です。つまり、不登校は「子供の問題」です。だから、まず親が子供のためにできることは、「そんなに辛い思いをしてたんだね。今まで辛かったね」と、子供の気持ちに寄り添い、心の回復を進めることなんです。では、「親の問題」は何かというと、子供が不登校になることで発生するであろう、さまざまな不利益を想像し不安になることです。勉強が遅れる、社会性が身につかない、世間体が気になるなどです。

 

ーーまず、「子供の問題」と「親の問題」を区別するんですね。区別できているようで区別できていないのかもしれません。

 

中野さん母   はい。親と子供の問題をごっちゃにしてしまうと、「(子供のためにというよりも、親の焦りを解消するために)早く学校へ復帰して欲しい」となり、質問のように「いつまで家で休んでいるの?」とつい言いたくなります。その時はすでに、子供の気持ちに寄り添えていない現実があり、子供は休養できず心の回復が進みません。

 

ーー子供の問題を親の問題としてとらえてしまうと、親は自分の気持ちを優先しがちになります。そうなると、思い通りにならない子供の状態にイライラしてしまいやすくなりますね。

 

中野さん母   最優先すべきは、親の気持ちではなく、子供が安心して休養できる環境を作ることです。ましてや、無理やり学校へ連れていったり、学校へ行くように圧力をかけることは長い目で見ると逆効果です。

 

ーー子供の立場から考えると、「これ以上学校に行きたくない」と思っても、親から「この状況から逃げるな。ここで逃げたらどこに行っても同じだぞ。乗り越えることで成長するんだ」と言われたり、今までそう言われて育った背景があると、「他の選択肢を探すことは逃げることで、恥ずかしいことなんだ」と考えてしまいます。当然「行きたくない」と言いたくても、言うことはできなくなります。そうなると、逃げ場がなくなり本当に辛いと思います。

 

中野さん母   そうなんです。親の姿勢が変われば、子供は安心して休めるので心の回復が早くなります。また、今の学校にこだわらなくなり、子供自身が違う選択肢を考えやすくなります。一方で、親は今まで子供について考えていた時間を、自分のために使うことができます。その結果、親がのびのびと自分らしく生きることができるようになります。その姿をきっと子供は見ているので、自然に子供も変わっていきます。

 

ーーところで、「親の問題」はどのように解決されましたか?

 

中野さん母   私の場合、親の会で話を聞いてもらうことで、不安をある程度は解消することができました。その親の会には、月に一度参加していましたが、最初の頃はその間隔では間に合わず、毎週誰かに聴いてもらわないと苦しい状態でした。親の問題が解消されないと親が苦しくなり、子供に寄り添うことも難しくなります。親の気持ちを聴いてもらう場所を見つけることは大切だと思います。

 

ーー「話す」は「放す」と言います。日頃の親の蓄積した思いを「放す」場所を見つけることが、子供の気持ちに寄り添うために大切だと改めて実感しました。

 

中野さん母   はい。親自身が生き生きと、自分の人生を楽しみ出すと、この種の質問は自然に頭の中から消えてしまうと思います。

 

 

次回へ続く。

「多田元 弁護士 講演会 〜子供たちにやさしい風を〜」のお知らせ

2016/04/07

今月4月23日の土曜日に、不登校新聞の代表理事であり、27年前に「おーぷんはうす 不登校親の会」を立ち上げた、多田元(ただ はじめ)弁護士の講演会が開催されます。質問タイムもありますので、関心のある方はぜひご参加ください。

 

『講師プロフィール』

多田元(ただはじめ)

 

●1944年兵庫県尼崎市生。1969年から1988年退官まで裁判官。その間、通算10年間、家庭裁判所で少年事件を取り扱った。

 

●1989年名古屋市で弁護士開業。少年事件の弁護、教育裁判のほか、不登校、体罰、いじめ、子供の虐待など子供の人権問題の相談・弁護活動、医療の分野での患者の人権・医療過誤事件などに関わっている。

 

●愛知県弁護士会子供の権利委員会委員、NPO法人全国不登校新聞社代表理事、NPO法人子供センター「パオ」理事長。子供の虐待防止ネットワークあいち(CAPNA)の創立に関わる。

 
日時: 4月23日(土)午後1時45分頃〜4時30分頃まで

場所: 白山市福祉ふれあいセンター2F大会議室

問い合わせ: ワンネススクール金沢校舎076-259-5359

その他:資料代として1000円必要です。

 

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今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❹

2016/04/05

今回から、中野さんのお母様へのインタビューを掲載します。これまで約7年間の中で、多くの気付かれたことを話して頂きました。

 

 
ーー太郎くんが学校に通えなくなった当時、どんな気持ちでいらっしゃいましたか?

 

中野さん母   正直、「まさか、うちの子が」という感じでしたね。うちは息子二人なんですが、私にとってはどちらかと言えば、弟の太郎よりも兄の方が心配の種だったんです。典型的な次男坊で不登校とは無縁だと思っていただけに、本当に「まさか。。。」という感じでした。高校を休学した時、彼はうつ病にかかっていました。

 

ーーそうだったんですね。当時、家族の方は、太郎くんの不登校をどのように受けとめていらっしゃいましたか?

 

中野さん母   今思うと、当時はあまり重大には受けとめていなかったように思います。兄は弟を励まそうとして手紙を書いたんですが、それを読んだ太郎は「それができたら苦労しないよ」と怒ってしまい逆効果でした。主人は、うつ病の治療について、別の病院でもう少し具体的な治療を受けさせることを望んでいましたが、太郎はそれを嫌がりました。結局、うつ病は高校をやめた後まで、2年間ぐらい続きました。

 

ーーお母様にとって、苦しかった時期はいつでしたか?

 

中野さん母   一つは、太郎が昼夜逆転になってしまった時期です。もちろん初めてのことだったので、非常にショックを受けました。もう一つは、うつ病だった太郎に、主人が別の病院での治療を提案した際、太郎がそれを断わった時期です。主人の思いも太郎の思いも両方理解できただけに、板挟みになっているようで本当に苦しかったです。

 

ーーそれは苦しかったですね。その苦しかった時期、一番の支えになったものは何かありましたか?

 

中野さん母   支えというか、当時いろいろな親の会に行って、当時の状況を話していました。そこで話を聴いてもらえる時は、居心地が良く、わりと気持ちが安定していました。また、反省したり自分を責めたりしている間は、悲劇のヒロインになったような気分になって、気持ちが高揚していましたが、後になって疲れたり、しんどくなったりした時もありました。今思えば、当時は自分が何とか楽になりたいというか、子供のことより自分のことで精一杯だったと思います。

 

ーー現在と当時を比較して、お母様の太郎くんへの接し方の違いはありますか?

 

中野さん母   以前は、太郎を心配するふりをして、自分の心配ばかりをしていた気がします。例えば、親の会で、非行で暴力をふるう子供さんの話を聞いた時に「うちの子供は引きこもりで良かった。うちのほうがまだマシだ」と安心していました。また、太郎が不登校であることを最初の一年間、世間体もあり、親戚など外部に対して隠していました。その後、親戚の前で、私からでなく彼の口から「今、自分は不登校で学校に行っていない」と言わせてしまいました。太郎の心情を無視し、人格を全否定していました。本当に残酷なことをしましたし、太郎に対して申し訳なかったです。今ふりかえると、当時は自分に余裕がなかったというか、自分中心に生きていて、イライラしていました。不登校を、子供の問題として考えてやれず、自分の問題としてばかり考えていたためです。私の場合、そこに気付いた時が、太郎の気持ちに寄り添うための出発点だったと思います。

 

ーー不登校という問題を「子供の問題」としてでなく「親の問題」として考えてしまうと、自分だけの気持ちに向き合ってしまい、子供の苦しんでいる気持ちに気付きにくくなってしまいます。その結果、心が伴わない言葉だけの共感になってしまい、子供の気持ちに十分寄り添えないということですね。

 

中野さん母   そうです。うちの場合、高校を休学している間は、どうしても復学を基本路線と考えていました。その後、退学を決めて完全に高校と切れた瞬間に、子供の表情がガラッと変わりました。気持ちが楽になり、完全に心が休まるようになったのです。その姿を目のあたりにして、「もっと早く子供の気持ちを第一に考えてあげれば良かった」と後悔しました。「これからはもっと太郎の味方でいよう」と思い、ようやく子供の気持ちに寄り添えるようになっていった気がします。

 

 

次回へ続く。

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