活動報告

今、不登校をふりかえって〜子供の視点と親の視点〜❹

2016/04/05

今回から、中野さんのお母様へのインタビューを掲載します。これまで約7年間の中で、多くの気付かれたことを話して頂きました。

 

 
ーー太郎くんが学校に通えなくなった当時、どんな気持ちでいらっしゃいましたか?

 

中野さん母   正直、「まさか、うちの子が」という感じでしたね。うちは息子二人なんですが、私にとってはどちらかと言えば、弟の太郎よりも兄の方が心配の種だったんです。典型的な次男坊で不登校とは無縁だと思っていただけに、本当に「まさか。。。」という感じでした。高校を休学した時、彼はうつ病にかかっていました。

 

ーーそうだったんですね。当時、家族の方は、太郎くんの不登校をどのように受けとめていらっしゃいましたか?

 

中野さん母   今思うと、当時はあまり重大には受けとめていなかったように思います。兄は弟を励まそうとして手紙を書いたんですが、それを読んだ太郎は「それができたら苦労しないよ」と怒ってしまい逆効果でした。主人は、うつ病の治療について、別の病院でもう少し具体的な治療を受けさせることを望んでいましたが、太郎はそれを嫌がりました。結局、うつ病は高校をやめた後まで、2年間ぐらい続きました。

 

ーーお母様にとって、苦しかった時期はいつでしたか?

 

中野さん母   一つは、太郎が昼夜逆転になってしまった時期です。もちろん初めてのことだったので、非常にショックを受けました。もう一つは、うつ病だった太郎に、主人が別の病院での治療を提案した際、太郎がそれを断わった時期です。主人の思いも太郎の思いも両方理解できただけに、板挟みになっているようで本当に苦しかったです。

 

ーーそれは苦しかったですね。その苦しかった時期、一番の支えになったものは何かありましたか?

 

中野さん母   支えというか、当時いろいろな親の会に行って、当時の状況を話していました。そこで話を聴いてもらえる時は、居心地が良く、わりと気持ちが安定していました。また、反省したり自分を責めたりしている間は、悲劇のヒロインになったような気分になって、気持ちが高揚していましたが、後になって疲れたり、しんどくなったりした時もありました。今思えば、当時は自分が何とか楽になりたいというか、子供のことより自分のことで精一杯だったと思います。

 

ーー現在と当時を比較して、お母様の太郎くんへの接し方の違いはありますか?

 

中野さん母   以前は、太郎を心配するふりをして、自分の心配ばかりをしていた気がします。例えば、親の会で、非行で暴力をふるう子供さんの話を聞いた時に「うちの子供は引きこもりで良かった。うちのほうがまだマシだ」と安心していました。また、太郎が不登校であることを最初の一年間、世間体もあり、親戚など外部に対して隠していました。その後、親戚の前で、私からでなく彼の口から「今、自分は不登校で学校に行っていない」と言わせてしまいました。太郎の心情を無視し、人格を全否定していました。本当に残酷なことをしましたし、太郎に対して申し訳なかったです。今ふりかえると、当時は自分に余裕がなかったというか、自分中心に生きていて、イライラしていました。不登校を、子供の問題として考えてやれず、自分の問題としてばかり考えていたためです。私の場合、そこに気付いた時が、太郎の気持ちに寄り添うための出発点だったと思います。

 

ーー不登校という問題を「子供の問題」としてでなく「親の問題」として考えてしまうと、自分だけの気持ちに向き合ってしまい、子供の苦しんでいる気持ちに気付きにくくなってしまいます。その結果、心が伴わない言葉だけの共感になってしまい、子供の気持ちに十分寄り添えないということですね。

 

中野さん母   そうです。うちの場合、高校を休学している間は、どうしても復学を基本路線と考えていました。その後、退学を決めて完全に高校と切れた瞬間に、子供の表情がガラッと変わりました。気持ちが楽になり、完全に心が休まるようになったのです。その姿を目のあたりにして、「もっと早く子供の気持ちを第一に考えてあげれば良かった」と後悔しました。「これからはもっと太郎の味方でいよう」と思い、ようやく子供の気持ちに寄り添えるようになっていった気がします。

 

 

次回へ続く。

メイクフレンズ

カテゴリー別アーカイブ

通信制高校サポート校 リモート家庭教師 吐露カフェ メイクフレンズ みんなの家庭教師とは みんなのQ&A